元福島民友新聞編集局長 伊藤 修二 様

季刊誌「ぬくもり」の頃
 今からざっと20年も前のことになりますが、貴社で衆議院議員の金子徳之助さん(故人)の後援会誌「ぬくもり」を印刷していただいたことがありました。春夏秋冬、年4回発行の季刊誌で普通の週刊誌と同じ大きさ。ページ数は24ページ、カラー印刷。創刊は平成4年11月でしたが、金子さんと貴社の創業者の井場秋子さんが金子さんが福島市の商工部長だった頃からの知り合いだったことから平成6年から貴社に引き継いでいただきました。
 「ぬくもり」とは一風変わった誌名ですが、金子さんのスローガンの「ふるさとに愛を、国政にぬくもりをからとりました。また、「ぬくもり」は、新しい広報づくりの試みでした。
 当時、国会議員や県議会議員などの有権者向けの広報は、選挙の時だけタブロイド版2~6ページの後援会報を出すのが普通でした。でもこれでは候補者の意が十分には伝わりません。そこで金子さんの発案で「ぬくもり」は、選挙の時だけでなく季節ごとに発行、冊子タイプとすることとしました。言うならば新しい選挙広報への挑戦でした。
 彫刻家で詩人の高村光太郎の言葉に「他人が導いた道を行くのではない。自分が導いた道が道になるのだ」というのがあります。それは金子さん、井場さん、私も同じような思いでした。
 私たちは「誰でもがやっていない道を拓くのだ」という意欲に燃えていました。
 編集には金子さんの頼みで私が担当し、当時の課題だった政界再編やウルグアイラウンドの米の自由化の特集などを組み、話題になったものでした。井場さんにはいろんな無理を聞いていただき、全面的に協力していただきました。
 でも思いがけないことが起こりました。平成7年4月、金子さんは川俣町長に出馬した友人の渡辺弥七さんの出陣式に出席中、意識不明になって入院、政界引退という不幸に見舞われました。
 これに伴い「ぬくもり」も自然消滅し、私たちが志した理想の広報づくりは、夢と消えてしまいました。
 あれから16年、貴社は「ら ら カフェ」の発行や「福の鳥プロジェクト」「花見山コンテスト」などの新機軸に取り組まれ、地元文化の発信基地になっておられます。「ら ら カフェ」の表紙のネコのイラスト。実に愛らしくていいですね。
 私はそれをみせていただきながら、「他人が導いた道を行くのではない。自分が導いた道が道になるんんだ」と意欲に燃えた「ぬくもり」の頃を重ね合わせ、懐かしく思い出しています。「言うのは優しく、行うのは難い」と言われます。でも貴社の道が大道につながるものと信じ、陰ながら声援を送っています。
(追伸、この「ぬくもり」発行の頃の平成6年9月の新生党県北支部連合会が発足(金子徳之助部長)、井場さんは幹事に選ばれ、金子さんと行を共にされました。女性でただ1人の役員でした。)

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〔 福島県 〕 元福島民友新聞編集局長
伊藤 修二