縄文時代の文化と歴史のロマンに触れる

らら・カフェ 2015冬号(第33号)/ 2015年12月

縄文時代の文化と歴史のロマンに触れる

「じょーもぴあ宮畑」と宮畑遺跡のミステリー


 福島市岡島にある縄文時代の遺跡「宮畑遺跡」について、施設・周辺の整備が完了し、2015年8月に「じょーもぴあ宮畑」として全面オープンした。当時の建物が復元展示されているほか、体験学習施設「愛称:じょいもん」も併設され、新たな文化スポットとして期待されている。

楽しみながら縄文時代を学ぶ

 宮畑遺跡は、今から4500年から2500年前の縄文遺跡で、1998年に直径90センチもの大きな柱の跡が発見されたことにより、全国的にも注目を集めた。ここでは、およそ2000年間にわたって、人々が生活していたと考えられ、時代によって特徴が異なる縄文時代中期・後期・晩期の集落跡が発見され、2003年には国の史跡にも指定された。
 縄文中期の集落跡では、46棟の土屋根でできた燃えにくい竪穴住居が確認され、また縄文晩期には、広場を囲んで掘立柱建物が環状に配され、その周囲には子どもを埋葬したと考えられる墓が発見された。掘立柱建物の中には、直径90センチもの大きな柱もあり、これらは住居としての建物ではなく、まつりなどに関わる建物ではないかと考えられている。
 隣接する体験学習施設「じょいもん」では、縄文時代の四季・暮らしやまつりの様子を、映像とイラスト・出土遺物等で分かりやすく紹介しているほか、火おこし体験や弓矢体験、土偶や勾玉作りなどの縄文体験もでき、楽しみながら太古の暮らしを体験できる施設になっている。
 また宮畑遺跡以外でも福島市内には貴重な出土品が発見されており、福島市飯坂町東湯野の上岡遺跡から出土した縄文後期の土偶は、国の重要文化財となっており、じょいもんに展示している。

2つの大きな謎

 先に記したように、宮畑遺跡からは直径90センチもの柱の跡が発見されている。
 縄文時代には石製の斧を使って木を伐採していたが、その作業は容易ではなかったと考えられる。柱の長さは6メートルにもなると想像され、重さはゆうに3トンを超える。そのような重量物は、運搬するにも穴に据えるにも、多くの人数が必要だったと考えられる。その建物が、いったいどのような目的で建てられ、使われていたのか、真相は謎のままである。
 もう一つ、宮畑遺跡には謎がある。
 縄文中期の集落跡では、46棟あった竪穴住居のうち、22棟が意図的に焼かれたことがわかっているのだが、なぜそのようなことが行なわれたのか、というものだ。
 燃えにくい土屋根でできた竪穴住居が焼けるということは、飛び火などによるものとは考えにくく、また全国的にも極めてまれである。現時点では考古学的な成果から、その謎を解明できていない。

 

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