魅せられて53年――刀匠藤安将平が刀剣に寄せる思い
日本刀づくりに幾千年の歴史を込める

らら・カフェ 2019冬号(第49号)/ 2019年12月

日本刀は、古来より武器だけではなく命の尊さ、美しさ、そして儚さと哀愁を日本人の心に宿してきた歴史がある。
それゆえ、刀をより美しく、より輝かせる匠の技が師から弟子へと伝えられてきた。刀に命と思いを込め、未来に繋ぐために…。
福島県唯一の刀匠 藤安将平(ふじやすまさひら)が語る日本刀作刀の魅力こそ、日本の歴史と伝統を次代に伝える『心』そのものと言える。


刀工への道
 刀匠藤安将平――日本屈指の作刀技術と古刀再現の技術を持つといわれる福島県が誇るべき人物である。福島市の立子山地区に鍛刀場(刀剣を鍛造する仕事場)を構えて44年。そこは、長野県坂城町が生んだ人間国宝・宮入昭平(後に行平に改名)刀匠の門を叩いてから53年の長きにわたり藤安が思い描いてきた刀工としての情熱、日本刀への思いがぎっしり詰まった場所でもある。小高い山上にある鍛刀場を通りから垣間見ることはできないが、時折聞こえてくる力強い鎚音が、そこの主の存在を知らしめている。
 藤安は今年73歳になる。伊達郡川俣町で生まれ、幼少の頃は姉、妹、近所の女の子とチャンバラをして遊んでいたが、体が小さい藤安はいつも負かされて泣いてばかりいた。そんな中、木を削って木の刀を作ってみたらこれがなかなか面白い…以来、暇さえあれば木の刀づくりに明け暮れ、それがいつしか刀剣への憧れと変わっていった。高校3年の時、たまたま見つけた宮入昭平の著書「刀匠一代」を読んだことから、世の中に日本刀をつくる刀匠がいることを知る。それまで、高校卒業後は父の仕事(洋服修理業)を継ごうと考えていた藤安だったが、急きょ長野県にある宮入昭平の仕事場に近い会社へ就職を決める。そこなら、いつでも日本刀をつくる現場を見に行けると思ったという。

11年の修行後、独立
 藤安が宮入昭平から弟子入りを許可されたのは1年後。何度断られてもめげずに通ってくる藤安を見かね、師匠の奥さんが下働きの弟子にと言ってくれたことで何とか叶ったという。しかし、当時は体重も48キロと軽く、7キロの大鎚を振るう先手(さきて)の仕事も3回でダウン。これではクビになってしまうと思った藤安は、河原から大きな木の根を拾って来ては毎朝それを叩き続けた。最初は3回だったものが5回、10回、20回と出来るようになり、3ヶ月後には余裕で100回出来るようになった。まさに血のにじむ努力…。


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